火縄銃の演武と安祥城(安城市)
安祥(あんしょう)文化のさとまつりが行われる会場は、戦国時代、安祥城があった場所です。
今日は、雨で火縄銃の演武の予定時間が早まり、会場に着いたら、甲冑を着た武者の方々が、立ち去るところでした!残念(T_T)
安祥城
安祥城は信長公記にも出てくる「三川の内あん城と云ふ城」なので、歴史に詳しい人は知っていると思いますが、戦国時代に次の様なできごとが起こった場所でもあるんです。
●信長の兄・信広が今川軍に捕まった城
安祥合戦最後の戦いが天分一八年(1549年)の戦いで、それは今川義元公の命による今川・松平両氏連合二万の兵で安祥城を攻め、
激しい戦いののち信広公を生け捕りにし、織田家にとらわれていた竹千代君(家康公)と人質交換をおこないます。なお、その時安祥城に立ち寄った竹千代君が水を飲んだと伝えられる銘水『筒井』が城址近くにあります。
●織田家と今川家&松平家が何度も攻防を繰り返した城
特に尾張の織田氏と今川&松平氏が約5回、取ったり取られたりの攻防があって、それが安祥合戦として歴史に名前を残しています。
【歴史】
永享12年(1440)、畠山一族の和田親平が築城したといわれ、別名を森城と言います。
天守を持たない平山城で、安城町にあります。
安祥城は松平氏の居城として知られています。徳川家康の祖父にあたる松平清康まではこの城を本拠としていました。『徳川実紀』によれば、「御身は猶安祥におはしける。」とあります。
1535年、松平清康が家臣に殺された「森山崩れ」によって松平氏が弱体化した隙をつき、織田信秀が安祥城を攻め落とし、城代に織田信広を置いています。
その後も今川氏との間で攻防がおこなわれ、太原雪斎により落城させられました。
しかし今川義元が「桶狭間の戦い」で敗れ、独立した松平氏と織田氏の間で清洲同盟が締結されると、岡崎城の前線としての価値が薄れ、廃城となりました。現在、城址には安城市歴史博物館が、本丸跡に大乗寺が建てられています。
<周辺の城>
桜井城(愛知県安城市)
本證寺(愛知県安城市)
岡崎城(愛知県岡崎市)
井田城(愛知県岡崎市)
重原陣屋(愛知県刈谷市)
知立城(愛知県知立市)
西尾城(愛知県西尾市)
箱柳城(愛知県岡崎市)
刈谷城(愛知県刈谷市)
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