株式会社堀田土地
2023年06月03日
地域情報
刈谷城は海に面していた!!
刈谷城の跡地には現在は亀城公園があります。そして、この周辺は城町といい、刈谷市内の中では旧跡がある地域になります。
刈谷城現況対象図の中の緑線は当時の街道を示しています。
また、城郭位置図からもわかるように、刈谷城の西側は衣ヶ浦湾(現衣浦湾)、つまり海だったんです。
さらに、350年くらい前の衣ヶ浦湾(現衣浦湾)の想像図をご覧ください。
この図を見れば、刈谷城跡に作られた亀城公園から西側は海だったことが一目瞭然です。
そして、逢妻駅がある熊村から高津波、小山を経て刈谷総合運動公園の西側の泉田辺りまでが海だったようです。
高津波の由来は、衣ケ浦の波が打ち寄せる場所だったことから付いた地名とのことです。
昔、小山町の土地を売却した際に、売主様から昔は裏の川で貝が取れたんだよと聞いたことがありました。
小山だから山だったんじゃと思っていましたが、海に面していたんですね。
最後に、余談になりますが下の図は桶狭間の戦いの頃の推定海岸線を破線で書いた図になります。
この図でも刈谷城が海に面していたことがわかりますが、名古屋市緑区の鳴海や熱田神宮も海に面していたようです。
愛知県図書館でも古地図の閲覧ができますので、興味がある方は是非ご覧いただきたいと思います。
この記事を書いた人
堀田 秀隆
元々は、某トヨタ系企業に就職した技術者でしたが、某ハウスメーカーで営業を、設計事務所で設計を学び、弊社では分譲住宅の設計・施工・現場管理をした後、現在の不動産営業をしております。
この仕事はつくづく「人生相談」に似ていると実感してます。私の経験・知識・人脈をフル動員して皆様のご相談に乗らせていただき、安心したお取引が出来るように全力で頑張ります。
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