福釜神明神社の由来
祭神 天照大御神
創建 永正13年9月9日(1516年)
応仁の乱後、駿河に今川氏、尾張に織田氏、三河に松平氏がそれぞれ互いにしのぎを削っていた時代、福釜の松平初代城主 松平親盛公は、今川・織田より身を守るために、神の加護を祈願するため、永正13年に伊勢の国より天照大神宮を勧請し、神域をこの宮添の地に定め社領十石六升二合を寄進し、鎮祭し奉りました。
これが神明神社の起源です。
現在の社殿は、1945年の三河地震(みかわじしん)および1959年の伊勢湾台風(いせわんたいふう)とによる被害(ひがい)の傷(いた)みがひどく、1990(平成2)年に建て替えられたものです。
境内(けいだい)の建造物(けんぞうぶつ)の一つに福釜文化会館としての演舞場(えんぶじょう)があります。
1951(昭和26)年に新築されたもので、杮落(こけらおと)しには当時、舞台出演中の早変りで有名だった女優大江美智子が来演しています。
その頃の村祭りでは余興(よきょう)に田舎芝居(いなかしばい)は恒例(こうれい)でしたのでこの演舞場はよく使われました。
ここでは相撲興行(すもうこうぎょう)もよく行われました。「三河山惣兵衛(みかわやまそうべえ)」という相撲取りが居て、引退後、相撲協会お墨付きの四本柱免許(めんきょ)が与えられていたので、相撲大会をすることが出来たのです。土俵(どひょう)で使われる四本柱(安城市指定文化財)は福釜文化会館の中に保存されています。
平日の夕方になると、子供たちがブランコや境内で遊んでいます。
お祭りや、夏には町内会の盆踊りも開催されます。常駐の神職はいないのですが、町内会の皆さんで運営を支え、親しまれている福釜神明神社です。
安城市 福釜城主 松平 親盛(まつだいら ちかもり)
戦国時代の武将。三河松平氏の一族で、三河国碧海郡福釜(現在の愛知県安城市福釜町)を本拠とする福釜松平家の祖です。
永正12年(1515年)福釜村に宝泉院を創建。
親盛から4代康親まで、宝泉院に葬られていましたが、現代では宝泉院の西100mほどの場所にある「松平墓地(福釜城主墓域)」に、初代親盛から5代康盛までの福釜松平家歴代の墓が移されているそうです。